無償の愛は無尽蔵の愛じゃないのです

無償の愛は無償なだけあって、原資はありません。

だから余剰分を原資にした分しか生産できません。無尽蔵に湧いてくるものじゃないのです。

なのに、与える側に立った事のない人は無償の愛を渡す人は愛の泉を持って生まれた狡い人で、それを持っていない可哀想なワタシは狡い人(自分が持つべきものを奪い取った人)からいくらでも絞りとって良い、という考え方をするようです。なんなら虐げても良い、という考え方のようです。

 

お返しを要求しているわけではありません。ただ、不快な思いをしてまで、対象に対して親切にするつもりはありません。あくまで私が親切にしたいからやっているだけで、旨味があるからやっているわけでも見返りがあるからやっているわけでもありません。

 

無償の愛ではあっても、無限でも無条件でもありません。